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第1章-7:もう、ここには・・・1)。
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翌日(平成8年1月31日)夕刻、C建設の社員(現場監督のD氏)が、訪ねてきました。
D氏「こんにちは、どうですかね、患者さんの出足。」
私 「やあ、こんにちは、まあボチボチですかね。
ただ苦情が結構あって弱ってます。頭痛いですね。やはり看板がないとまずいみたいですね。もう思いきって、この辺りに電照看板つけようか、と思案中です。今日、見積りを頼みました。」
D氏「A先生はご存知で?」
私 「いえ、彼はもともと看板などを認めていませんから。私もずっとそれでいいのだと思ってたんですけどね。
でも間違いでした。多くの患者さんに申し訳ないことをしてしまって。悔やんでも悔やみきれないミスです。A先生には患者さんの気持ちが理解できていないとしか思えませんね、今から考えると。
D氏「…まあ、確かに、普通は何か、遠目でも分かるものをつけますねえ。」
その日の午後9時47分付A氏からのFAX。
「寒い夜となりました。早速のお振込みありがとうございました。本日Dさんよりまさかと思っておりましたが、電照看板の話を聞きました。どのようなものなのか、何故そうされるのか等、この間の経緯から、私としましては、理解できませぬが、苛酷な現実を踏まえての先生のご判断でしょう。
東郷で何を志されたのか、初志を貫徹されるような、強い決意を老婆心ながら、あえて進言したく思ったりもするのですが・・・。
患者、周辺の人々に迎合しない、こだわり、ポリシー、それが、独立するものには、必要だと、私は、実感してまいりました。私の希望に耳を傾けて頂ければ、幸いです。
(中略)
薬局の上に、又、電照看板など、私の設計した意味は何だったのでしょうか。
少しく落胆しております。看板とは、何なのでしょうか?。
地域の人々への、患者さんへのメッセージは、先生の医療活動を通して、先生の生き方を通して送られるものだと
私は確信しております。
以上乱筆乱文お許し下さい。
'96-01-31アトリエ○●○●○●○●拝
2月2日の夜8時過ぎに、そろそろ夕食に出かけようと思っているところへ、A氏が訪ねてこられ、青ざめた顔で、「電照看板などを取付けるならば、もはや私はこのクリニックに来ることもないでしょう。先生との関係を切りたくはなかったのですが。」と言われました。
私は、看板は必要であることをくり返し述べたのですがA氏の耳には入らなかったようです。
玄関まで送ろうとすると、「もう結構です。」それがA氏の最後の言葉でした。
さて、2月5日A氏の依頼で金属看板を業者が取付けにきましたが、その位置は感染患者隔離室の外壁。
何と、この取付工事によって、もっとも外部と隔離されるべき隔離室の壁に3箇所も外部への穴が開いてしまったのです。
今考えてみれば、構造用合板の替りに、サーモプライ(株式会社●○●○建材が輸入している米国製品)という紙製ラミネート板を使っていたため、留め釘が簡単に突き抜けてしまったというわけです。サーモプライという商品名は後で重大な意味を持って登場します。
平成8年2月6日付A氏あてにFAX
「昨日の銅版取付工事により、その裏側にあたる隔離室の壁に3ケ所穴が開き、壁が崩落しております。
早急に原状回復をおねがいいたします。
(中略)
壁の修復に当っては、内面クロスの張り替えだけでなく、壁全体の原状回復を行ってください。」
2月7日13:27 A氏よりのFAX
「今朝、壁の回復の件、C建設D氏に依頼致しました。
(中略)
このJOB、成功者は、先生お一人です。私に残ったのは、9ヶ月間に渡る心身の消耗と、若干の催務、そして建築することの空しさだけとなりました。私は、本当に疲れました。」
・・・・と。
どっちが疲れた?
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第1章の最終話へ |
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▲上へ |
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